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ゴールズボロ (ノースカロライナ州) : ミニ英和和英辞書
ゴールズボロ (ノースカロライナ州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ゴールズボロ (ノースカロライナ州) : ウィキペディア日本語版
ゴールズボロ (ノースカロライナ州)[す, しゅう]

ゴールズボロ()は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州の中央部東寄りウェイン郡の都市であり、同郡の郡庁所在地でもある。2010年国勢調査での人口は36,437 人だった。ゴールズボロ大都市圏に属しており、その主要都市である。ノースカロライナ州の海岸平原に位置し、南はニュース川、西はリトル川に接し、グリーンビルの南西約43マイル (69 km)、州都ローリーからは南東に55マイル (88 km)、ウィルミントンからは北西に87マイル (139 km) に位置している。市内にはシーモア・ジョンソン空軍基地があることで知られている。
== 歴史 ==
ウェイン郡が設立された1787年頃、郡庁舎の周りにウェインズボロと名付けられた町が成長した。同年、ウィリアム・ウィットフィールド3世(同2世の息子)とその息子が、町を設計し建設するための「支配人かつ信託員」に指名された〔Whitfield Cemetery Wayne Co., NC 〕〔Whitfield, William. Walk of Honor 〕。町はニュース川の東岸にあり、郡庁所在地になった。1830年代を通じでウェインズボロの人口は増え続けた。しかし、1840年代初期にウィルミントン・アンド・ウェルドン鉄道が開通してから状況が変わった。この時までに鉄道とニューバーン道路の交差点にホテルが建設されており、鉄道が旅客を運ぶようになってから、その地点を中心に町が成長した。
ウェインズボロからこの成長する町に市民が移って来て、鉄道建設の技師長補だったマシュー・T・ゴールズボロ少佐にちなんで、「ゴールズボロ・ジャンクション」と名付けられた。後のその名称がゴールズボロに短縮された。1847年、町は法人化され、ウェイン郡の住民投票によって、新しく郡庁所在地に指定された。地元の伝説に拠れば、ゴールズボロに賛成票を奨励するために、支持者が町の井戸に密造酒を入れたと言われている。
その後の時代に、シャーロットボーフォートに向けた新しい鉄道が建設されたこともあって、ゴールズボロの成長が続いた。1861年までに町の人口は推計1,500人になっていた。自作農の農夫達とともに始めた地域の交易の中心地だった。この頃までに奴隷にされたアフリカ系アメリカ人の労働に依存する大規模綿花プランテーションが発展し、コットン・ジンの発明で短繊維綿花の栽培を利益の出るものにした。
ゴールズボロは鉄道の接続点として重要だったので、南北戦争のときは南軍兵を駐屯させる場所としても、その物資を運び出す地点としても重要な役割を演じた。町には近くで起きた戦闘で負傷した兵士の病院もあった。
1862年12月、ゴールズボロ橋の戦いが起こり、両軍が戦略的に重要なウィルミントン・アンド・ウェルドン鉄道の橋を巡って戦った。北軍のジョン・フォスター将軍がその部隊と共に12月17日に到着し、ウィルミントン港からの重要な供給線を終わらせるために、この橋を破壊しようとしていた。同日、その部隊は少数の南軍守備隊を圧倒し、橋を燃やして作戦に成功した。フォスター隊はニューバーンに戻る途中で南軍の部隊に攻撃されたが、敵よりも少ない損失を出しただけで撤退できた。ゴールズボロの重要な橋は数週間の内に再建された。
1865年にはウィリアム・シャーマン将軍のカロライナ方面作戦で、ゴールズボロが再度戦場になった。ベントンビルの戦いやワイズ・フォークの戦いの後で、シャーマン軍はジョン・マカリスター・スコフィールドの軍隊と落ち合った。スコフィールド隊は3月にゴールズボロ市を占領していた。その後の3週間でゴールズボロは10万人を超える北軍兵に占領されていた。終戦になると、これらの兵士の中には市に留まり続ける者もいた。
1869年、市名の綴りがそれまでの「Goldsborough」から公式に「Goldsboro」に変更された。戦後、ウェイン郡はアメリカ合衆国下院ノースカロライナ州第2選挙区に入り、黒人が過半数を占めたので、「ブラック・セカンド」と呼ばれた。この選挙区から19世紀に4人の共和党アフリカ系アメリカ人議員を選出した。そのうち3人はレコンストラクション以後の時代だった。その中では最後のジョージ・ヘンリー・ホワイト弁護士は1894年に選出され、2期を務めた。
民主党が支配した州議会が公共施設での人種差別を合法にした。さらに輪を掛けて1880年代には黒人の精神疾患者を収用する施設としてゴールズボロの州立病院を承認した。1899年、議会はその増築を承認したが、適切な予算は宛てなかった〔''Report of the State Hospital, at Goldsboro, N. C., from November 30, 1902, to November 30, 1904'' , Documenting the American South, University of North Carolina〕。このことは公共施設での人種統合をもとめる公民権法が成立されるまで続いた。さらに1970年代には精神疾患者の治療を病院から外す動きによって影響を受けた。ほとんどの州がそのような施設の代替を行う地域社会の計画を適切に支援することができなかった。
第二次世界大戦中、ノースカロライナ州議会選出の下院議員団は現在あるシーモア・ジョンソン空軍基地の誘致に成功した。それは1942年4月、ゴールズボロの郊外にアメリカ陸軍航空軍の基地として開設され、シーモア・ジョンソン飛行場と呼ばれた。この時点から連邦政府の防衛施設がある結果として市の人口と事業が増加した。基地の名前は1947年にアメリカ空軍が独立した軍として創設されたことに伴い、現在の名称に変更された。
市内にはゴールズボロ・ミリング・カンパニーがある。アメリカ合衆国内で豚の生産では第10位、七面鳥でも大手生産者である。
ゴールズボロ市にあるアメリカ合衆国国家歴史登録財としては、次のものがある。ボーデン・マニュファクチャリング・カンパニー、第一長老派教会、L・D・ギデンズ・アンド・サン宝石店、ゴールズボロ・ユニオン駅、ハリー・フィッツヒュー・リー家屋、オッド・フェローズ・ロッジ、ソロモン・アンド・ヘンリー・ワイル家屋

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ゴールズボロ (ノースカロライナ州)」の詳細全文を読む




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